2014年下半期を振り返って (1)
12月 28th, 2014 by hpone_support2A1
7月1日、はなみずきクリニックは満六周年を迎えました。手狭になった薬局の収納能力、電子カルテとは言え日々発生する新患の紙カルテの保管、這入り切れないで度々苦情の出る駐車場の問題など可及的早期の対応が必要な事案はいろいろ有りますが、ならば隣の土地を購入するという話には中々なり辛い。クリニックの運営全般に関しては高山院長の懸命かつ賢明な采配と真面目な従業員皆の努力によって大過無くここまでやって来られたというのが実感です。ただ、やっと七年目に入ったばかりで、これも長丁場のほんの通過点に過ぎず、航海に例えれば愈々大海原に漕ぎ出そうというところ、行く手には荒波や暗礁、暴風雨や船員の脱落、船の故障や海賊の出現など千辛万苦が待ち受けている筈です。更に十年、二十年と続くであろう遠洋航海の舵取りが船長の専権事項である一方で、「はなみずき丸」の安定航行の責任を果たさねばならず、そのためにも我々は共に手を携え波頭を航走して行く覚悟を新たにするものであります。そして、この月、もうひとつ大切な日が待っていて、25日、もんちゃんは満六歳になりました。時々軟便になるくらいで大病することもなく(乳糖不耐症のようだ)、無事これ名犬というべきでしょう。無論、もんちゃんの名犬たる所以のものは健康であることに止まらず、我々の言うことの殆どを理解しているところであり、牙をむいて他の犬を恫喝することなど決してなく、誰に対しても穏やかに振る舞うその高貴な精神性にあると言えます。益々彼は人間に近づいているような気がします(そのうち日本語を話し始めるんじゃあないか・・・・)。それが素晴らしいことであるかどうかは解りませんし、彼がそれを望んでいるかどうかも解りませんが。神のない私ではありますが、彼こそは「はなみずき丸」の神聖なる航海の水先人であり、気障な言い草をすれば、天が我々に遣わしたポセイドンの化身とも呼ぶべき存在なのであります。――――予てよりいつかは訪れてみたい、と願っていた奇跡の泉で知られるキリスト教の聖地・フランスはルルドに行くことが本格的に決まったのは今年の初めでした。五年位前の話になりますが、私の患者の妹(頸部腺癌で可なりの大きさの腫瘤を形成していて手術不能と言われていた)は知人の写真家(ルルドの写真集を出している)が提供してくれたルルドの水を藁にも縋る気持ちで飲んだところ、主治医も首をかしげるような奇跡で,俄かに腫瘍が縮小し始めたという話を聞いていたのがそもそもの切っ掛けでした。信仰心もなく、キリスト者でもない身でありながら、厚かましくも、原始的な動機である「みんなの健康やもんちゃんの長命」を祈願し、高山先生、茂子先生と私の3人の三度笠、遥々フランス行きとなりました。9月20日、先般予約してあった羽田発パリ行きのエールフランス機は、当社組合のストライキで直前になってフライト中止を旅行会社から通告され途方に暮れてしまいましたが、高山先生の必死の折衝の甲斐あってどうにか同日夜半(予定出発時間の半日遅れだったが)に全日空機のパリ直行便の機上に辿り着くことが出来ました。ストは組合員の正当な権利であることは重々承知していますが、自己実現の願望のために善意の第三者の不都合を顧みないという点では全く承服できず、兎に角大変な迷惑を蒙りました。パリ・シャルルドゴール空港には、およそ12時間後、現地時間で夜の八時頃に降り立ち、無事を喜んでいるのも束の間、飛行機を乗り換えポー空港に着いたのは十時少し前だったと記憶しています。空港の外には、高山先生が予ねて予約してあったバンタイプの大型タクシーが待機していて、殆ど空の旅行カバンと共にこれに乗り込みました。行程およそ70㎞。途中茨城の田舎にもありそうな野山を抜け、徐々に目的地に近づくにつれ古い家並はフランスの片田舎の景観を呈して、今まさにフランスの空気を吸っていると思えば、気持ちの高揚して来るのが分かりました。タクシーの進みに合わせて路傍の家々は町場の様相に変貌しつつ街燈や商店・旅籠の電飾が目立つようになり、ルルドのホテルには十一時頃に到着しました。さすがに長旅の疲れでシャワーを浴びてベッドに潜り込みたいところでしたが、今回の目的の優先順位の筆頭はルルドの水を持って帰ることでしたから、我々は取るものも取りあえず早速持参の二つのポリタンクをぶら下げて泉に向かいました。ホテルは最寄りの場所にあって、泉までは徒歩で3分くらいの道のりでした。その道すがら、そんな時刻にも拘らず、店々には煌々と明かりが灯り大勢の人々と行き交い、我々同様ポリタンクやペットボトルを抱えて帰ってくる者もあり、夜の更けるのを忘れそうでした。ポー川の畔、ベルナデッタがマリア様のお告げを聞いた(都合18回と言われている)崖の窪みは幅50メートル、高さ、奥行20メートルくらいと推測されましたが、ろうそくのともし火の中真夜中のミサが執り行われ、数十人の老若男女が祈るように神父様の話(英語ではなかった)に真剣に耳を傾けていました。泉の水をポリタンクに目一杯入れると20㎏以上になり、両手にぶら下げるにはさすがに重く、10メートルも歩くと立ち止り、また進むという牛歩の体でホテルに向かいました。途中親切な外国の方(どこの国の人かもお聞きしなかった)がホテルまで一方のポリタンクを運んでくださいましたが、何のお礼もしなかったことを心より後悔しています。翌朝も7時には起床し、再び泉に向かい、昨夜も水を鱈腹飲んだのですが、改めて、げっぷが出るくらい大量の水を飲み干しました。曰く、「体中の水分はルルド水に入れ替わった」と。そこから目を遣るとすでに早朝のミサが始まっていて、ひと目百人以上の人々が集っていました。ポー川のやや上流のの橋を渡り対岸から改めてミサの光景を眺めていると、車いすを押す看護師若しくは修道女と思しき人々が長蛇のごとき列をなしてそこに整然と向かっていました。年間四~五百万人が病の平癒の奇跡を願ってここを訪れるそうです。長逗留する人も多いと聞きましたが、我々は時間の都合で、崖の上に立つ教会をはじめその他の施設を急ぐように見て回り、滞在12時間余りでルルドを後にし、再びパリに向かいました。パリには二日滞在し、ルーブル美術館、エッフェル塔、凱旋門、セーヌ川の遊覧船と盛り沢山の見物、見学をすることが出来ました。結局ルルドの泉で汲んだ水は持ち込み手荷物の重量制限の関係で一部は持ち帰れませんでした。いずれ我々もその水をまた飲まなければならないかも知れないが、もんちゃんには毎月、月誕生日にはルルドの水を飲ませています。そして数年後、今度はもう少し時間をとってルルドに滞在したいと思います。 (Mann Tomomatsu)