息子が結婚したいという時 Ⅱ
10月 11th, 2012 by hpone_support2A1
私には子供が3人います。一番下の二十歳の次男はまだ大学三年生で結婚には暫く縁がないでしょうから当分そのことで戸惑ったり、悩んだりすることもない筈です。また、長男より1歳年上の長女が高校時代から付き合っていた同級生との結婚を可なり早い内から概ね決めていた点については、私を含む周囲の人間もそうなるであろう事を予感し、殆ど混乱はありませんでした。ところが、全く予期せぬ交際宣言から始まり、俄かに話が進行しつつある長男の結婚の話はno motionのストレートパンチのように防御体勢を取る間もなく問題意識や日常の秩序の感性の中枢に強い衝撃を与えました。従って、話の成り行き、そのことを受容してゆく過程では、動揺と逡巡に引き続く拒絶と諦念という葛藤を克服しなければなりませんでした。
結婚に限らず重大な意志決定に当っては、余人の好悪や価値観の押し付けが殆ど有効でないばかりか、寧ろ逆効果で却って意地を通そうとする頑なさを助長する事があるので、周囲の期待とは裏腹の結果をもたらすことがしばしばあります。だから、説得に当たる者は落としどころを弁えて、程々の所で引き揚げる勇気と賢明さを持ち合わさなければなりません。つまり、そこには両者が歩み寄るべき暗黙の了解が存在する必要があります。こと結婚に関しては、当人の自由意志が最優先であり、親の出る幕などは無い筈なのに、結婚に関する世間の「許諾の一般的な形式」の多くは、不本意ながら意図して下手に出る子供に儀礼的な説教のひとつもして親の沽券が保たれるというのが両者にとっての最終的な合意の形であるでしょう。私は心から子供を信頼しているので、許可することが親の裁量権であるというような傲慢且つ不遜な気持ちは毛頭ありません。無論、尋ねられれば感想や否応の返答をするし、おせっかい染みたアドバイスもし、親としての考え得る最善の選択枝を提供する努力はします。今度の事については、兎にも角にももう少し時間を置き、距離を置いて相手を充分に観察、評価すべきであると言うのが私や妻の考えでした。しかしながら、彼に動かし難い強い意志があると解かった時、最早二人の関係を中断させるというような棚上げ論的やり方は通用しませんでした。話をご破算にすることを前提とするある種の交渉は既に限界であることを実感しました。たとえ息子の意思を曲げさせることに成功したとしても、以後の彼に残された選択枝が私や彼にとってより満足すべきものである保証は何処にもないのみならず、失意の余り世を儚んで彼が立ち直れないようなことがあったら身も蓋もないというのが私の結論でした。
実を言えば、在仏中、必ず日課にしていたのは頻回にニュースを見ることであり、「邦人遭難」「飛行機事故」などの文言の無いことを祈ることでした。だから、二人がフランスから帰った直後に簡単な帰朝の報告があり、道中何事も無かったのは何よりでしたが、状況証拠を積み上げて犯罪を立証する試みに似て、既成事実を重ねて行くことは物言わぬ説得であり、そこには彼らの強かな計算があった点については疑う余地がありません。ただ、忙しい産婦人科臨牀の合間を縫って一週間近く病院を離れることがで出来たのは不思議と言うべきか、許可を得ての休暇であったにしろ、後々までの失点になりはすまいかと多少の危惧が残りました。
二人が揃って挨拶に来たのは、年も開け今年の一月の末だったと記憶しています。偶々家内が不在だった為、はなみずきクリニックが会見の場となり、高山院長にも同席してもらいました。特段の話はしませんでしたが、私が彼女に聞きたかったことは、私の息子の伴侶となるべき重大事に対する覚悟でした。そして、将来二人の間に出来るであろう子供らは、大いなる期待を背負うことになるので、その時は是非教育には熱心に取り組んでもらいたい旨を話しました。
当初二人の結婚に関しては消極的であった妻も息子の意思を尊重することを第一義に考え、一年後くらいには結婚式を挙げてはどうかと言う意見を提示するまでになりました。ところが、今回に限って何処までも自分本位の息子は出来るだけ早い挙式を希望していると主張し、我々が相当譲歩しているのに付け込んで、徹頭徹尾自分の意見を通す構えでした。結局、一旦結婚することに合意すれば、だらしなくも、延期すべき理由も見つからず、9月24日ハワイで挙式という話が、あれよあれよと言う間に決まってしまいました。私は最後の抵抗、外国などと言わずにせめて我々が結婚式に選んだ軽井沢にしてくれないだろうか、と言う意見もあっさり却下されてしまい、久しぶりで大嫌いな飛行機に乗らねばならないことになったのであります。 to be continued (Mann Tomomatsu)