同窓会
12月 31st, 2010 by hpone_support2A1
同窓会といってもどちらかと言えば内輪の集まりで、大学時代の友人七人が年末一堂に会し旧交を温めるという、極ありふれたものです。当番幹事ガ概ね現住所に近い宿泊施設をそれなりに吟味し、一ヶ月ほど前に案内に同封してパンフレットを送ってきます。しばらく私は当番をしていませんが、七、八年前に担当した時には、殆ど何も考えずにつくば市内の研修施設を宿所に選んで不評でした。無論、送るべき資料のようなものもなかったと記憶していますが、皆が熱心に資料をコピーしたり、きちんと対応する誠実さには頭が下がります。
こうした集まりの最初が何時だったかは判然とは思い出せませんが、二十年余りが経っている筈です。当初は、つくば市内の寿司屋や串焼き店に集まり、しこたま呑んで散会というあっけないものでした。誰が言い出したか、それが何時だったかの記憶もありませんが、[温泉にでも入って、泊りがけでどうか]という話になり、衆議一決、翌年からは各地の旅館や名の知れた宿泊施設を選んでは、大学卒業以来離れ離れになって病院や大学に勤務している仲間が遠路駆けつけるのです。
今年も十二月四日土曜日、会場になっている川越の旅館に向かい、はなみずきクリニックの外来終了を待って出かけましたが、幹事から事前に郵送されて来たパンフレットによれば、島崎藤村が「夜明け前」を執筆したことでも有名で、創業百年余の老舗ということでした。正直のところ、無粋な私にとって旅館の格式などというものには余り関心がありません。
一時間余りの運転の末、関越自動車道を川越インターで降りると、ナビを頼りに目的地にどうにか到着しました。私を除く六人はとっくに揃っていて、時々グラスを傾けつつ、やや控えめな酒宴はもう始まっていました。今年もまた六人全員が無事であることを確かめると、酒瓶が数本空になって居るのを見逃しませんでしたし、立て続けに注がれる日本酒をニ杯あおるのも忘れませんでした。早い連中は恐らく一時間以上前に到着し、持ち込んだ酒の栓を早速開けると、この時とばかり身近に起きた出来事を語り合っていたに相違ありません。遅れ馳せの常套としては逸る気持ちを抑えて遠慮がちに皆の話を聞きつつ、遠来の友人に対する儀礼的ないくつかの質問に応えながら血中アルコール濃度を一気に上げなければ、最後のひとりを待っていた友人等に申し訳がありません。
三々五々温泉に浸かった後、七時を待って料理の用意された宴会場に集まると本格的な酒宴が始まりました。ただ、昔に比べてみんなの酒量がいくらか減ったことと、談論風発とは言えず、嘗て大いに盛り上がった艶話ガ影を潜め、子供たちがどうだ、というような話題も減って、紛れもなく我々が老境に向っていることを実感せずにはいられませんでした。そして、無論、斯くの如き感懐は今回が初めてではなく、もう何年も前から徐々にそう感じてはいたものの、普段どちらかと言えば意識することのない現実を、改めて自覚させられるひと時なのであります。それは同時に、全て満足とは到底言えないにしろ、ある程度の実績を引っさげて此処まで辿り着き、そして、また次に向って踏み出して行く活力を貰う機会でもあるのです。
宴会場を後にすると、元いた部屋に戻り愈々二次会の開幕となるのですが、近年、十時を回った頃にはそこ此処に鼾が轟くという体たらくを繰り返し、同窓会というより寧ろ、「眠ろう会」とでも言うのに相応しい有様でした。しかし、今回は鼾を掻き出す者もなく、捕り止めのない話を持ち出しては、夜遅くまで部屋の中にみんなの声が響いていました。
翌朝は川越市内見物の予定だったようですが、不義理を詫びてひとり「はなみずき」の日曜外来に向いました、皆の健康と幸せを祈りつつ。
来年の幹事は私の番だそうで、先ずは、年の瀬のとある土曜日の午後、「はなみずき]集合と決まりました。 (Mann Tomomatsu)