震災の後で
7月 18th, 2011 by hpone_support2A1
昨年暮のブログを最後に、起稿する機会を得ず、半年余りが過ぎました。この間、左程重大な事があった訳でもないのですが、何くれとなき些事に追われ、何度か書き掛けたブログの文章も落ち着いて推敲するといった心持になれませんでした。そして、院長からせっ付かれていた事もあって愈々本気で書こうかなと思っていた矢先、古今未曾有の大震災に遭遇しました。
その日、私は有給休暇を取ってつくばに居り、午後からははなみずきクリニックの小手術に立ち会うことになっていました。開始は午後三時の予定と連絡を受けていましたが、虫の知らせか、今更ながらに開始時刻を三十分早めて欲しい旨を院長に伝えたのは僥倖と言うべきだったでしょう。手術は二時二十五分頃から始まり,十五分後には家族への説明も済んでいました。今回に限ったことではなく、また必ずしも手術の内容によらず、手術が無事終了した安堵を感じるもので、その時私は少し寛いだ気持ちで午後四時の診療開始までには少し間のある人気の無い外来にいました。そして、そこに立って最近掛けたばかりの自分の絵を改めて眺めていた時、前触れ無く密かにそれはやって来ました。
午後二時四十六分、腹に響くような地鳴りと共に徐々に大きくなって行く振動を体感しつつも、高々いつもの地震くらいのものだろうと、やり過ごす積りでした。しかし、予想される最大振幅までの時間を過ぎてもそれは収束する気配を全く見せず、益々増してゆく振動は私のいる空間の更に未知の次元に向って膨張して行く気配となって、高を括っていた余裕が一転驚愕、戦慄へと変化してゆくのを判然と感じました。その時、入り口付近にいた従業員が絶叫していたのを良く覚えていますが、私にはまだ少しの余裕があったと思います。ただ、受付の脇にあるカルテが束になって落下する音に始まってあちらこちらから聞こえてくる好ましからざる様々な音は日常の秩序を破壊する天変地異に他ならず、殆ど自然災害を他人事のようにしか受け止めることのなかった私にとっても、これは大変ことになるかも知れないという漠然とした被害者の感情が胸の奥に芽生えました。
地震の揺れが東から伝播してきた為、一階のクリニックでは、東西に配列してあったカルテや薬局の薬はは可なり床に落下していましたが、南北に面してある本棚では全く影響を受けませんでした。口早にそれらの始末を大雑把に済ませることを指示し、手術室に横たわっている患者に問題のないことを確かめた後、二階に駆け上ると、大したことは無いと言いつつ、割れたガラス器や酒瓶の片付けを始めている冷静な院長の姿と部屋の隅で震えているもんちゃんを発見しました。だから、もんちゃんはその後の余震の度に震えながら耳を寝かせベッドの下に潜ったり、院長の懐に身を寄せたりしています。
総じて、はなみずきクリニックの被害状況はたいしたことは無かったと言えます。一方、直線距離にして8kmほど離れたつくば市の我が家は屋根瓦の一部が落ち、本棚の本は大半が床に投げ出されてうず高く積もっているような状況で、割れた食器や酒瓶は大き目のダンボール箱一杯になりました。その後これらの地区では断水となり、完全復旧には二日程掛かりました。私の次男は一時行方不明でしたが、大学の弓術部の合宿で千葉県の外房に行っていたとかで、翌日呑気に電話して来たので、皆から大いに顰蹙を買っていました。
その後、東北の被災状況が続々と報道されるにつけ、その惨状たるや筆舌に尽くし難く、無力感を感じるばかりでありますが、直後から避難してきた方々を診る機会もあり、彼らの復活の日を思わずにいられません。そして、テレビで取り上げた被災された方のメッセージの中に、「東北人を甘く見るなよ」というようなややもすれば見逃してしまいそうな一文があり、その中に民族主義的な強い意思を感じそれを何度か繰り返している内に自然涙が流れました。
嘗て、幸田文がラジオの番組の中で「人間八方塞がることもある、そこからが勝負だ」というような事を言っていたのを良く憶えています。嘘か誠か、二十八歳で二十八億円の負債を負い三十年掛けて返し終えた、とはさだまさしの話ですが、私にも他人に言いたくないような苦い経験は沢山あって、中でも四十年以上前、我が家が株で大損してすっからかんになった事がありました。その時、母が「明日から四人(妹がいます)で再出発する」と言い、二十年足らずで、広い土地を求め新しく家を建てるまでになったことには子どもながら目を見張る思いがしました。その時、親戚縁者からの支援などというものは一切無く、自業自得とはいえ薄情なものだと思ったものです。私に出来ることならば、なんでもしてあげましょう。ただ、他者からの応援は有れば有るほどいいが、月並みながら、自らの不運は自ら以ってで克服して行く以外にはないということです。被災された方々の幸運を祈らずにはいられません。(Mann Tomomatsu)