諦観
10月 23rd, 2011 by hpone_support2A1
気が付けば今年も余すところ三ヶ月足らずとなり、ひたすら駄眠を貪り掛け替えのない日々を消光したとばかりはいえませんが、殊更自慢出来るようなこともない一年になりそうです。但し、寄る年波、最早更なる自己実現の願望などは殆ど持ち合わせず、平凡且つ平穏なる日常こそが至福なり、と公言して憚らない点とは矛盾していないのに、何故か物足りないと感じる、それを他人は未練と言うでしょう。確かに昔のように研究に没頭するある種の義務感や専ら思索を繰り返す絶えざる情熱もなく、創造的な欲求は加速度的に低下して行く一方で、よくよく考えてみれば、今直ぐ死んでも一切の後悔もないという訳にもいかず、数え出せば、未練という忘れ物が心の内にうず高く積み上げられて行くのもまた事実です。
更には、世の中も思い通りには行かないこと尽くめで、円高、株安は留まる所を知らずギリシャの財政危機の話は対岸の火事などと言っていては全くもって済まされず、我々の尻の辺りからきな臭い匂いが漂い始めている事を多かれ少なかれ自覚しない訳には行きません。だからと言ってこれといった事もせず、手を拱いている自分を情けないと思いますガ、無力感ばかりが先に立って、まさかの時のために如何ばかりかの現金を手元に置いておいた方がいいなどと考えるのが関の山です。
そして、今年は様々の自然災害が矢継ぎ早に起こりました。東日本大震災に始まり、その傷が全く癒えぬ間に台風が来れば西日本は広域で大水害ガ発生し、多くの人命が失われました。つい数日前のニュースでもタイの大洪水の映像がテレビの画面に映し出されると、信じ難い光景に愕然とせざるを得ませんでした。そして、ギルガメッシュやノアの大洪水は単なる伝説ではなく、そう遠くない未来、我々は更なる想定外の不幸な現実に直面しなければならないという危機感を抱いたのは私だけでは無かったでしょう。
昔見た映画に「世界大戦争」と言うのがありましたが、それは、核保有国が一斉に発射した核弾頭を搭載したミサイルガ世界中で爆発し、地球が溶岩のような高熱の無構造の泥流に被い尽くされ滅亡すると言う話でした。 大爆発までに残された僅かな時間、何処に逃げても同じなのに人々はひしめき合い、当ても無く何処かに向って行くという無意味な、しかし、本能的な行動を取るのでした。 残念ながら我々を取り巻く人為的環境も自然環境も最早余談を許さない所に来ているような気がしてなりません。しかし、今の自分に出来る事と言えば、各種電化製品に関する節電とプリウスを運転しての省エネ位のものです。 そして、世界大戦争の時はもんちゃんを連れて逃げ惑うばかりです。