そして今年も同窓会
12月 31st, 2011 by hpone_support2A1
年に一度の同窓会も既に30回程になっている筈で、最初がいつであったかの記憶も定かではありませんが、今年の当番幹事の私は七月頃から会場探しを始めました。不確かな記憶を辿ってみても、多分この10年間に筑波山神社の直近くの老舗旅館が二度、そこからそう遠くないホテルが一度選ばれていたので、今回は出来る限り筑波山から離れた場所にしたかったのです。主に霞ヶ浦周辺の宿泊施設のパンフレットを取り寄せてみましたが、震災の影響で現在休業中の施設やビジネスホテルのように小さな区画に分宿するものが多く、大きな部屋に7人全員が宿泊できる昔ながらの旅館は見つかりませんでした。さもないことのようですが、泊り掛けの宴会の場所を探すというのは、色々な要素を加味して事を決めねばならず、結構手間のかかる作業です。
そうこうしている内に十月も半ばを過ぎてしまい、暫く放ったらかしにしていた問題を解決すべく、再び土浦市内のホテルやつくば市内のホテルに電話を掛けたり、インターネットのホームページを頼りに情報を集めてみたりで四苦八苦しましたが、結局牛久沼のほとりのホテルに決着しました。直に全員に連絡を取って日取り(11月26日)の調整が済むと、ホテルの案内と企画書を十月末までに郵送することが出来ました。ところが直後、その近所に住むはなみずきクリニックの従業員が「あそこは近くに住む子ども達の合宿や町内の敬老会に利用したりする施設で、およそ先生方の同窓会には相応しくないと思います」というようなことを言うものだから俄かに不安になり、恐る恐る現場を訪ねてみることにしました。
車のナビを頼りに目的地周辺まで来ると、少なくとも外観的には余り問題なさそうだし、駐車場を見ても、そこにあるのは概ね普通の乗用車で、トラックや小型バスといった類は見当たらず、県外ナンバーも何台もあって、少し話が違うかもしれないという期待が出て来ました。更に、フロントの係りにお願いしてホテルの中を見学させて貰うと、築25年余り、立派とまでは言えないものの、遠くから遣って来る友にも詰まらない言い訳をしないで済みそうでした。クリニックに帰って早速下見の感想を話すと、件の従業員は如何にも怪訝そうで不満そうに、それならばどうぞ御自由に、というような顔をしました。
例年の同窓会の宴会料理で旨いと言えるものに出会った事が無かった為、他の施設では殆ど禁止されている「出前」を注文することにしました。その事はホテルも了解済みで、注文先は行きつけの「四季彩」です。当日、午後4時の開宴に合わせて、ビールに日本酒、ウィスキー,焼酎、刺身、串焼き、オードブルと宴会料理一式ダンボールにして5箱程が7人部屋に運び込まれました。見るからに支払った金額に比して品物は量的にも質的にも過分で、しかも20km余り遠方から運んで来て貰う為、却って「四季彩」のご主人には悪いことをしました。 おまけに夕食は別途頼んであったので全部を食べきることが出来ませんでした。しかし、その夜の宴会がいつもより豪華であったことは間違いありません。
基本的には、幹事の仕事は良かれ悪しかれおよそそこまでで、後は例年の如くこれといった催し物も無く、10時を過ぎた頃には4人が布団の中で、12時過ぎには全員横になっていました。翌朝、7時半に朝食を摂ると、幹事の最後の仕事である会計を済ませ、「また来年」と少ない言葉を皆と交わして、また散り散りになって行くのでした。今年こそは何か盛り上がりを作ってみたいと思っていたのに、結局いつもの「寝よう会」になってしまったのです。そして来年も僅かな時間を一緒に過ごすだけの「寝よう会」でも、全員健康で集まれることを心から祈るのであります。尚、来年の宿泊先は大洗に決まったようでした。
皆が三々五々ホテルを後にするのを見送った後、晩秋快晴の青空をひとしきり見渡すと、はなみずきクリニックの日曜外来の為一目散で車を飛ばしました。そして、いつもの生活が私を待っているのです。