近づく春と、もんちゃんの散歩について考える
3月 21st, 2012 by hpone_support2A1
土、日の朝5時ともなると、もんちゃんの執拗な散歩の催促はぺろぺろから始まり、こちらが素早く反応しなければ耳たぶを咬む、挙句に顔を踏ん付けたり、頬を噛ったりとひたすらエスカレートして行くので、終に抗い切れずに堪らず表に出て行くのです。3月も半ばを過ぎて寒かったり、そうでもなかったり、とまだまだ陽気は一定しませんが、東の空はすっかり白み愈々春のそう遠くないことを予感させます。一方で、散歩に出掛けて行く私の出で立ちは依然として真冬対応の侭なのでゆっくり歩いても20分もすると体は汗ばんで、もんちゃんの曳きに合わせて走ったりしようものなら俄かに体温は上昇し、真冬ならやっと体が温まる頃なのに、すっかり汗をかいてしまう始末です。
前にも書いたと記憶しているが、こんな春の兆しの訪れと、白々しい明るさや、薄手の上着にいつか着替える温暖で能天気な気候が余り好きではありません。それは、遠い過去の様々な疎ましい記憶が明るい桜色の春の上に重層して澱んだものにしているからに相違ないのです。しかも、地球温暖化の結果としてその後に引き続く忌まわしく暑い夏を思わずにはいられません。つまり、一見のどかな春は今や悪役にも例えるべき夏の露払いに成り下がっているのであります。私も本音は声高らかに春よ来い、と言いたい所だが、年々その心境は複雑になっています。
散歩のコースは概ね決まっていて、クリニックを出て南に行けば、牛久シャトーの外郭を巡っておよそ50分、北に行けば、牛久警察署方面で、それより手前をU-ターンし常磐線沿いに戻って1時間15分、西に向かえば太田胃酸の工場を右に見て1時間半と言った具合です。いずれのコースでも家々の花壇、農家の庭先、マンションの植え込みには新緑が溢れて賑やかになりつつあり、うっとうしいと感じる程なのに、近くの公園は何処でも例外なく禿山の様相を呈して、生々しい除染の後は畝起こしでもしたかのように芝生や潅木の下草は姿を消し、茶色の地肌を晒しているのです。 しかも所々にブルーシートが地面を被い、その様は前夜から始まる無人の校庭での運動会の場所取りのようであります(家族の皆から私の仕事だと言われるので、子供らが谷田部小学校に通っていた時分、毎年のようにブルーシートを敷きに行ったものです。私はそれが大嫌いでした)。
もんちゃんは直に何でもペロペロやるので、セシウムなどを含んだ雨が降り続き、その結果として放射性物質の蓄積している可能性のある公園の芝生などの汚染具合は大変気になる所でした。有害事象をより排除しようという試みとその結果として損なわれた景観との両者を、同時に肯定し受容出来辛いのは、故郷の町の区画整理やインフラの整備が進んで便利になった一方で嘗て見た懐かしい光景がなくなってしまって戸惑っているのに似ているような気がします。だから、私の知人は自分たちの健康被害を心配してか、飼い犬を安心して散歩させる為か、震災の一周年を待たず県外に引っ越して行きました。成る程もんちゃんのことを思えば、出来るだけ西の方に移住するのが良いのだろうけれど、諸般の事情はそれを許すこと能わず、金輪際茨城を引き払う訳には参りません。しかも、多くのヒトがその地に留まるのであるから、羹に懲りて膾を吹く、とまでは言わないまでも、疑心暗鬼を生ずる如く慌てて永年住み慣れた故郷とも言うべきこの地を後にすることは到底出来ません。一説には五十年ほど前、米・ソの核実験が盛んに行われた結果、大気中には現在の一万倍もの放射能が存在したそうであります。
夜明け前、明日もまたもんちゃんを連れて、散歩に出掛けます。
(Mann Tomomatsu)