息子が結婚したいと言う時
9月 30th, 2012 by hpone_support2A1
昨年8月、長男が久しぶりに帰省した際、差し出がましい話と彼が思うことは承知の上で、親としては当然のことと考えていた私は、齢二十六歳になんなんとする産婦人科医師たる彼に、親しくしている女性は在りや無しや、と唐突にして且つ無遠慮に尋ねてみました。実は「まだそんな事を考えている余裕はない」とでも答えると思いきや、「いる」と言う返答には少し驚きました。その時の記憶は可なり鮮明で、彼はやや躊躇している風にも見えましたが、一方でそんな質問をされる覚悟もあったのか、根掘り葉掘り私が聞きだす前に、私が知りたそうな事柄を少しずつ話し始めました。
相手は出身大学は違うが、2年間の初期研修終了後、昨年7月より息子の母校の産婦人科に同時に入局したひとです。高校時代米国(アリゾナ州)に語学研修の目的で一年間ホームステイしていたため、息子より1歳年長と言うことでした(何だ、姉さん女房か、お前の母さんはお父さんより7歳年下だぞ)。母親は既に他界し、父親と妹がいる。その他幾つかの会話もしたと思いますが、それ以上は良く憶えていません。ただ、真剣に将来のことを考えているという風なことを言うものだから、付き合い出して高々一ヶ月、相手のことも充分に解からぬ内に事を決めようとするのは早計に過ぎるであろう、と私の不愉快が充分伝わるように話した積りです。
私には昔からひとつの結婚観があって、人は結婚しても良いし、しなくても良い、結婚したら子供が出来ても良いし、出来なくても良い、というものです。何故なら、結婚して幸せになった人を余り見たことがないし、羨ましいと思える子供を連れている人に出遭ったことが殆どないからであります。ただ、どうしても結婚したいと言うのであれば、息子の結婚相手に望むことは山程あります。健康で、気立てが良くて、おもいやりがあって、才色兼備であるにに越したことはないし、相手の家庭が裕福であればその方が良いに決まっています。否が応でも将来付き合ってゆかねばならない相手の両親や兄弟、姉妹は良い人であって欲しいし、いやしくも、自分の命より大切な息子が望む限りの様々な条件を備えた人と結ばれて欲しい、と思うのが親心でしょう(世間的に見ても、息子はそれらを望む充分な資格を持っているであろうから)。二人が好き合っていれば、それが全てであるというような無条件且つ無防備で安易な選択をさせることは出来ません。取り敢えずは、相手の品定めに充分時間を掛ける為にも、反対の意志表示をするのが親としての深慮遠謀であるはずです。
息子は冷静で我慢強く、他人に寛容である、一方で一旦決めたらとことん粘り強く主張を貫く頑固さを持っていることは昔から心得ていたので、面倒臭いことになったぞというのが本音でした。しかしながら、絶えず反対の意志表示をし続ければ何時かは諦めるに相違ない、とやや楽観的に考えていたのは私の油断でした。彼らは秘密裏に着々とことを進めていたのです。
2011年も押し迫った12月、始まったばかりのその日の外来診療中、夏の話も記憶の片隅で殆ど風化しかけていた私を充分驚愕させる電話が一本。それは長男からでした。「ちょっとパリへ」。その後の会話がどういう風であったかは、全国共通、何処の親子でも似たようなものだと思います。以下掻い摘んで列挙。
「一体全体何の話だ?」「ちょっと休みが取れたので」「いつのことだ?」「2時間後には成田を経つ」。「おいおい、ちょっと待て」「待てと言われても・・・」「誰と?」「友達と」「友達と言っても色々あるだろう。もっと詳しく説明しろ」「・・・」「例の女か?」「・・・」「はっきり言え」「まあ、そんなところ」「そんなところじゃ解からん。お母さんには連絡したか?」「これからする」。「どうしようもないから、これ以上の話は帰ってきてからだ。兎に角気を付けて行って来い」「・・・それじゃあ」。それじゃあで済む話ではないが、後の祭り。
確信犯です。事前に連絡したら反対されるに決まっている、と思えば、謀は密なるを良しとす、ギリギリまで手の内を明かさない。最後の最後、こちらが手の出しようのないタイミングを選んだ訳です。自己主張の貫徹と強引なる許諾を取り付けるにはこれしかないし、私が彼の立場だったら同じ事をしていたでしょう。黙って出掛けたいと思ったでしょうが、家族の誰かが長男宛電話連絡をしても長期間不通ならば、大騒ぎになる可能性もあります。連絡は付かないが、事件に巻き込まれたりはしていないということを両親に告げて置かなければならない、と当然考える訳です。
してやられた、と思う間もなく、午前中の外来が終わると直に自転車に乗り、只管登る坂道を15分余り掛けて八幡様に辿り着きました。八幡様と限らず、最寄の神社やお寺に行き、家族や親しい人が飛行機に乗る時いつもそうするように決めている百円の賽銭を頼みに無事パリから帰って来られることをお願いしたのです、親の心子知らず、と頭の中で幾度も呟きながら。to be continued (Mann Tomomatsu)