息子が結婚したいと言う時 Ⅲ
10月 21st, 2012 by hpone_support2A1
結婚式の場所と日取りは既に決まって、後は当日を待つばかりでしたが、時間と共に私自身は寧ろ冷静になってゆき、何故か新たな感動や喜びが湧いてくるというようなこともありませんでした。娘の時も全く同様の感懐を味わったように記憶していて、それは自分でも不思議でした。そのような自分の気持ちを客観的に分析してみれば、結婚とは子供らが親の元から完全に独立してゆく重大事象であり、目的地に向って旅立って行く者を送り出す時の思いに似ているということです。つまり、将来幸せな家庭を築き、内助の功あり社会的な成功を収める為にも避けることはできないであろうし、さればこそ出発を心待ちにしている反面、その先で出食わす多くの苦難や障害を真剣に憂えるのであります。そして、人生とはその行く手に様々な「躓きの石」がちりばめられていることを覚悟しておかなければならず、何時までも浮かれてなぞいられないことを肝に銘じておいて貰いたいと思う余りです。
結婚という儀式を祝福する気持ち以上に息子の希望を叶えて上げられたこと、それ自体が今回の決定に当たって最も意義深いことであり、彼の意志を最大限に尊重出来たことをいつか自身でも嬉しいと思えるようになったことも事実です。そして、結婚の質、ひいては彼の妻となるべき女性の資質がどうだというようなことは最早懸案事項の中から殆ど除外していました。それが、正しいかどうかは先になってみないと解かりませんが、冷静且つ明晰な彼が選択した将来の伴侶が出来損ないである筈が無い、否、きっとすばらしい人である筈だ、という希望にも似た確信は私にとっての絶対的な彼への信頼から来るものでした。そして、これまでに決してそのようなことを言った事が無い彼が口にした産婦人科医としての覚悟(ここでは詳らかにしない)を、きっと実現してくれるであろうことも、私は信じています。
結婚式の当日双方の家族が初めて会うというのも実に間抜けな話で、その前に両家の顔合わせをしておく必要があるだろうということで衆議一決。八月中旬息子と彼女、彼女の父親とその妹に、つくば市まで出向いて頂き会食の機会を持つことになりました。場所はつくば市にある「四季彩」、串焼き以外に刺身やステーキ、果物を事前に注文しておきました。これでもかと言うくらいに料理がテーブルの上に次から次へと並ばれ、遠路遥々出掛けて頂いた事への感謝の気持ちを精一杯表した積りであり、こんなところで僅かな出費を惜しんでは息子の顔に泥を塗ることになります。両家の面接の第一義は社会通念的な儀礼である以上、決して食い切れない程を用意しておくのが形式を全とうすることであります。初対面の相手に対するある種の駆け引きがあったかも知れませんが、これを親の見栄と他人は言うかも知れません。見栄を張らねばならぬなら、とことん張ってみせましょう、息子の為に。
両家の面接が私にとって大変意義のあったのは、新婦となるべき彼女の聡明なる父親と次男の大学の先輩に当たる現役官僚たる妹に、共に冷静な判断、真摯な姿勢と慎み深さ等々、良き人々である多くの資質を見出すことが出来た点にあります。そして、自分たちが努力することは勿論ですが、こういう人々に囲まれていれば、息子たちには輝かしい未来が用意されているに相違ないと思える事は幸せでした。
一ヶ月先には愈々飛行機搭乗という忌まわしき出来事を選択しなければならないのです。乗ってしまえば腹を括るのですが、運動会の駈けっこの前の心悸亢進のような、何とも不安に満ちた暗澹たる思いで日々を送らねばなりませんでした。常にそんなことを考えている訳ではありませんが、ふと脳裏に映ずる白黒の飛行場のシーンや未だ見ぬ曇ったハワイの海岸は旅行を楽しみにしているということからは程遠く、不安と恐怖の象徴であり、余人は知らず、私の思いを。どうして軽井沢で良いと言わなかったのか、親不孝者!実に、行きの飛行機で恐ろしい目に遭うことになるのです。 to be continued ( Mann Tomomatsu )