息子が結婚したいと言う時 Ⅳ
10月 29th, 2012 by hpone_support2A1
息子たちと会った最後の日から、ハワイ行きの飛行機搭乗までには随分時間があると思っていたのに、とうとう当日の朝はやって来ました。午前4時頃、部屋の隅に伏せていたもんちゃんはいつものようにベッドの上に飛び乗ると私の顔をペロペロし始めました。途中覚醒を繰り返し、少し前から既に正気に近い状態だった私は彼が活動を開始し散歩の催促をするであろうことを充分予期し待ち構え、その合図に合わせて飛び起きました。普段、もう少し休んでいたいと思う時、或るいはまどろみの中、離床を躊躇しているとペロペロは耳噛りに、それでも寝続けを決め込んで知らばっくれていようものなら、彼は顔でも頭でも所構わず踏んづけ始めるのです。
その朝必ずやっておかねばならない事がありました。それは、直線距離にしてはなみずきクリニックから2kmほど離れた林の中にあって、霊気漲る柏田神社に旅の安全を祈願する為に詣でることです、百円玉を持って。それを知ってか知らでか、もんちゃんは私の握る手綱を引っ張りながら、恰もそこに誘うように目的地に向いました。真っ暗闇の中、社の両脇の軒に設えられ遠く微かに点る蛍光燈を頼りに長い参道を進むと、神社の賽銭箱の前に立ち、右手に握り締め汗ばんだ硬貨を徐に投げ入れました。 息子らの顔を思い浮かべ、無事ハワイに届きますように、と祈ったのであります。そして、その日の午後、もんちゃんと院長に別れを告げ、はなみずきクリニックを後にしました。最早、引き返すことはで来ません。
成田には17時過ぎに到着、諸手続きを済ませた頃新婦となるべき彼女の父親と姉そっくりの二歳違いの妹に会い、笑顔をもって御挨拶致しました。今回が2度目のことであるのに、見知らぬ人ばかりの中、何だか数十年来の旧知の如く懐かしく、飛行機嫌いの私の心を慰めてくれる福音となったような気がしました。しばしの立ち話の後、余りお喋りをする気にもなれず、私と家内は彼らと別行動とし、少しそわそわしながら搭乗までの時間を待つことにしました。そして、愈々係りの者の誘導に従い飛行機の中へ入って行くことになるのであります。19時過ぎ指定の座席に身を委ね瞑目して離陸の瞬間を待つ訳ですが、エンジン音ばかリが鳴り響き、予定の時刻を過ぎても一向に飛び立つ気配がありません。焦らすだけ焦らしやがって、さっさと飛び上がって見せたらどうだい、えー、と心の中で大声で叫んでいました。一旦飛行機に乗リ込めば、じたばたしても始まら無いことは百も承知、何食わぬ顔、出来る限り冷静なふりをしていました。すると予定より10分ほど遅れてエンジン音の微かな変化と共に、飛行機が滑走路の僅かな凹凸を拾って動き出したのです。ヤバい、万事休す!俄かに増す速度と振動、気が付けば私の上体は後方に傾斜し機体は空気の中に飛び出したのです。いつも思う、斜めになって其の侭フーっと力が抜けて尻餅を搗きはしないかと。次から次へと脳裏に浮かび上がる不吉な予感。パイロットも参加しているさるグループがあって、彼らは鉄の塊が空気に浮かぶなぞということは有り得ないと主張している、という話を聞いた事があり、咄嗟にそれが映像となって頭の中に湧き起こって来ます。(やっぱりそうだろう)踏ん張る両足には更に力が入り、両手も肘掛の先を思いっきり掴み、助けてくれー、と叫びたい気持ち、いつも味わう地獄の時間です。
何時しか飛行機は水平飛行に入り、私の恐怖心は嘘のように急速に消褪してゆくのが解かりました(これで尻餅をつくことは無い)。まるで何事も無かったかのごとく、改めて前席の背もたれに在るテレビ画面を操作してみるのですが、何処をどう動かしても画像は現れません。よくよく考えてみれば、通常装備されてあるべきイヤホーンが無いのもおかしい。結局約8時間の飛行中、テレビも作動せず、ポイントを照らす照明も点かず、椅子も立ったままで後方に傾いてリラックスすることも侭ならず、恐らく電気系統が一部故障していたのです。何故か、周りの人たちは騒ぐでもなく、キャビンアテンダントに質問するでもなく、行きの飛行中さして問題にならなかったようでした。但し、帰りの便も同じ航空会社だったので、そのことを思い出して、飛行機のアメニティーに関わる部分は兎も角、墜落せずに飛行出来る為の電気系統に問題が起こらなかったことが幸運だったと思う反面、空恐ろしくなりました。もう少し冷静に考えてみれば、それらの故障の説明や釈明も無く過ぎてしまいましたが、これは航空会社と乗客の間に存在するであろう契約違反に当たる可能性があり、損害賠償請求が出来るのではないかとさえ思えるのです。剰さえイヤホーンを用意しておかなかったのは飛行前に故障に気付いていた何よりの証拠で、トラブルを隠匿した酷い話のような気がします。
電気系統の異常のみならず、離陸後1時間もしない内から,機体はガタガタと振動し,もう収まるだろうと念じつつも、何時間もの間それは続きました。無論こんなことは初めてで、尻の辺りがむずむずするような恐怖心を抑えることが出来ません。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。とまれこうまれ、飛行機は無事ホノルル空港にほぼ予定通り着陸しました。大きな溜息と共に、助かった!と心の底で叫んでいたのは私だけではありますまい。 (Mann Tomomatsu)