今年を振り返ってみれば
12月 30th, 2012 by hpone_support2A1
今年を振り返るといっても、私個人に関しては、他人に自慢できる事をした憶えもなければ、他人から後ろ指を差されるような事にも思い至ることもなく、只管時を消光して齢を無駄に重ねてしまったと言うべきか。残念ながら、それは今年に限ったことではなく、去年もその前の年もそうだったような気がするし、「昔日齷齪として誇るに足らず」と言うのが、偽らざる心境です。だから、人はその一生のうちにほんの僅かでも‘輝いた時‘を過ごすことが出来れば、非創造的で怠慢に満ちた何の変哲もない残りの日々を送ることになるとしても、肩身の狭い思いや自己憐憫的屈辱感を抱く必要も無いのだと思う。そして、私を含む多くの平凡な人々は、「俺の人生も満更でもなかった」と言うでしょう、他人がそれをどう評価しようとも。
今年の前半の記憶は必ずしも判然としません。ただ、桜が散ったらもう暑かったような気がします。だから、「今年の半分は夏だった」、というような感想を持っている人は少なくないであろうし、気が付けば、それに引き続く申し訳程度の秋は瞬く間に極寒の冬に変貌した、と表現しても決して誇張とも言えないでしょう。そんな季節の移り変わりの中でも、息子が結婚したのを皮切りに、甥を含む親戚筋の結婚式に十月、十一月、十二月と出席しました。彼らは何れも神奈川寄りの東京と神奈川在住とあって結婚式は揃って横浜で行われました。偶然にも私の属する親族側の出席者の顔触れは三回とも八割がたが一緒で、彼らのおばあちゃんに当たる方は毎回山形から電車、飛行機、電車と乗り継いでやって来ていました。参列者の平均移動距離を最短にするのが合理的であるとすれば、せめて東京で上げて欲しかった、という不満をアルコールの血中濃度の上昇に任せて独りごちていました。
今回の一連の結婚式でも幾つかの驚愕が私の脳裏から離れない。大型バスの団体旅行客の如く親族紹介の部屋にぞろぞろと入ってきた相手親族の一群に目を見張っていると、新郎は、なんと、12人兄弟だった。おまけに、新郎の上司、部長、およそ38歳は主賓の挨拶なのに、何を言っているのかさっぱり分らない、と来た(一体全体、どうなってるんだい)。親族控え室の前の通路で、185センチ余りのモヒカン頭の髭面に‘眼を飛ばされた‘が、親族紹介の部屋で新婦の弟たる彼を発見して愕然とした。披露宴の席では律儀そうな父親に付き添ってビールを殊勝にも両手でついで回っていた(一体全体どうなってるんだい)。相手方新婦の父親は親族紹介の際にメモらしき原稿をたどたどしく読んでいたのはまだしも、頭はパンチパーマだった。紹介進んでその弟もパンチだった(ノーコメント)。
毎回同じ顔触れ、というのもそう滅多にないことで、家内の姉の連れ合いの兄や従兄弟といった普段では近づきになる事も無いような人々とも大分親しくなりました。話の内容は兎も角も、彼らの人情に触れて、変化のない日常臨牀を離れて、いっ時命の洗濯をした思いでした。山形のおばあちゃんや皆さんの幸運を心から祈り、併せ、私ももう少し頑張って行こうと思っている、と伝えたいと思います。結婚式、披露宴といった非日常的空間から礼服を脱いで日常の喧騒の中に舞い戻る時、暫し忘れていた様々な問題、或いは意図して忘れようとした嫌悪すべき事柄に向かいまた歩き始めなければならない。
十一月の最終土曜日が恒例の同窓会で、水戸在住のKが当番で、大洗のホテルがその会場でした。今年は中のひとりが父親と母親の看病の為手が離せないということで欠席し、6人が集まりました。5時集合で始まった同窓会場のホテルに私が到着したのはおよそ6時、持ち込んだ酒と肴で既に酒宴は始まっていました。そこからは、いつもの筋書きと寸分違わず、7時にホテルの宴会場に移動、宴会料理を食べ、9時帰室。10時半過ぎまで起きていたのは3人。これと言った話もなく、私ともうひとりで午前1時頃までは同窓会を頑張りました。翌朝、6人全員三々五々‘大浴場‘から朝日を拝んで、朝食が済むと、私ははなみずきの外来診療の為一足先にホテルを後にしました。来年は猿島の病院勤務の者が幹事で、会場は古河になるという話でした。家内に「今年もまた寝よう会だったの」と尋ねられたので、「はい」とだけ答えました。
十二月八日、はなみずきクリニックの外来には、高さ2.2mの銀色の両翼の前に臼のような形状の木製の物体を配した木彫のオブジェが陳列されることになりました。これは、東京芸大・彫刻科教授の深井隆氏の作品で、十一月に日本橋高島屋で開催された個展で展示されていたものです。当初から購入目的で高島屋まで出掛け、その作品を一目で気に入って高山院長が購入することになりましたが、私の値切る努力が少し足りませんでした。ただ、芸術作品を値切るというのは、作品及び作者の芸術性を貶めることにもなることを危惧し、やや手を抜いたのが本音です。彼は私の高校時代の可なり親しい友人で、これまでに私個人としても作品を数点購入していました。その際は、画商を介さない売買契約であり、値段の交渉などもなく市場価格よりは大分安く購入出来たと言う説明を受けています。今回の作品は「逃れ行く思念―泉にて―」と題された傑作で、これは何時か霊気を帯び、拝めばたちどころに病も癒える存在になるような予感がしてなりません。だから、私は心から患者には是非拝んで行ってはどうかと勧めています。ただ、そのようにして自然に病が癒えるということになると、はなみずきクリニックの経営に問題が生じる可能性があり、その点だけが少し心配です。 (Mann Tomomatsu)