僕らの夏
8月 30th, 2013 by hpone_support2A1
まだ小学生だった時分、夏と言えば、そのキーワードの筆頭にあがるのは「夏休み」でした。夏休みときたら、ラジオ体操、虫捕り、夏休みの友、絵日記、入場日時の定められた学校のプールなど、連想ゲームのねたは尽きない。そして、夏祭の準備に余念なく町内の公民館から夜な夜な聞こえてくる笛や太鼓の音は、微かな響きを残して耳の奥に残っているような気がします。一日の長さを持て余し、時間の流れが実にゆっくりであると思えたあの頃、僕らに与えられたとてつもなく長い夏休みは決して終わることがないんじゃあないかとさえ思えました。
そう思い、大いに勘違いしていたのは、私ばかりではなかった。3年生の一学期最後の日、それは嬉しくない通信簿を貰う日でした。余り勉強しなかった一学期を子供心にも後悔しつつ、芳しからざる通信簿を手に学校を後にしました。何だか家の前を通り過ぎてもそのまま大崎町まで帰る友人のKについてゆきました。どんな話をしたかは無論憶えていません。私は手下くらいに思っていたのに、やっと飛び越えた小川の対岸から合図をしても渡ろうとしない彼に催促すると、次に彼が発した言葉は「ばかばか、やーい」でした。呆然として立ち尽くす私の視界から逃げるように遠ざかって行った彼の姿とその背景にあった工場の煙突を今でもはっきりと憶えています。でも、必ず、夏休み最後の日は来るのです。翌日、学校で、何もなかったかのように近づいて来た彼に一発お見舞いしたのは言うまでもありません。それから暫くして、不勉強ゆえの人望のなさを心から悔いて、厳しいことで有名だった我が家の近所にあった「清水塾」に通うようになりました。
8月も下旬になって、日の出は着実に遅くなっていると言えば実に当たり前のことですが、夏至の頃、朝未だき、眼を覚ませば窓の向こうは最早明るく、短い夜の時間が確かにそこに流れていたとさえ信じ難いくらいに世界には光が溢れていました。高校野球の大会も常総学園を破った前橋育英高校の優勝で幕を閉じ、毎日のようにそうであって、しかもいつまでも続くと錯覚してしまいそうになる、絶えずテレビから流れて来るけたたましくも直向きな応援団の笛や太鼓の伝える熱気と若い人たちの情熱ももうそこにはありません。例年のこと、暑さは当分続くのに、夏の甲子園の大会の終了と共に「僕らの夏」は終わるのです。炎天下の昼下がり、思い掛けず強い風が吹いて埃を巻き上げても、残り少ない夏休みの誰もいない小学校のグラウンドを再び静寂が支配する、そんな映像が決まって頭を過ぎるのです。曰く言い難い寂寥感を伴って孤独な秋の訪れを待つしかないこと、それは一種の喪失感とも呼ぶべきものなのです。
今年の残された夏もそう長くないはずなのに、日中は只管暑く、気象観測史上に新たな記録を刻むと言うのが当たり前のようになって来ています。各地ですさまじい降雨量を記録し、嘗て我々の経験したことのないような出来事が、災害と言う名前で起きています。ノアの洪水伝説も創世記の作り話とも思えない今日此の頃の異常気象です。しかし、夏草の向こうに立ち昇る陽炎の中には力を弱めてゆく獰猛で無頼な季節の後姿が見え始めているような気がします。そして、昨年もこの欄にこんな事を書いていたんじゃあないかと思えば、一年の速さが年を追う毎に速くなってゆくと感じずにはいられないのであります。 ( Mann Tomomatsu )