2013年の終わりに
12月 30th, 2013 by hpone_support2A1
# やや自嘲気味に総括すると、これと言って自慢するような事も無かった一年でした、と実に月並みな年末の挨拶になってしまいますが、可なり多くの人たちがきっと同じような感想を持ち、根拠のない微かな希望を抱いて来年を迎える、所詮そんな所ではないでしょうか。無論、思い掛けぬ僥倖に有頂天になっている者もいて、それはそれでいい。年年歳歳、自己実現の願望が徐々に失せて、他人に対する嫉妬や羨望が影を潜めてゆくこと、そして平凡な日常を受け入れてゆくこと、それは偽らざる此の頃の心境であります。早朝、東の空が白み始める頃、ダイアモンドヘッドを目前に仰ぎ、繰り返される静かな波の音を耳に、日常の喧騒を忘れて、ワイキキの浜辺の砂を踏み締めながら独り行く心持を理想とし、もしかしたらそれを平和とか、世俗からの離脱とか、無心とか、呼ぶかも知れない。今年も故あってハワイに行きました。
# 一月、あの大雪の降った成人の日は牛久シティーマラソン(10㎞)で失敗し、十二月にはホノルルマラソン、35㎞を通過した辺りで棄権。よくよく考えてみれば、自分には長距離を走ることが向いていないと、自覚しなければいけないのかも知れない。翻って、まだ三十代の半ば、第1回の筑波マラソンでは完走はしたものの、記録は5時間40分で、二月の寒風吹きすさぶ中、全行程1/3は敗残兵の如く、とぼとぼと歩いていたのが昨日のことのように思い出されるのであります。それでも、何とか完走することが出来た。今回のホノルルでは、「後半は歩いたけれど、なんとか完走できたよ」という台詞も事前に考えていたので、そんな土産話を引っ提げて日本に戻る筈でした。あに図らんや、両足の痙攣で転倒し、熱中症の症状を呈して救急車が駆け付け点滴を受けるようでは笑い話以下です。帰国後は不首尾の経緯を弁解するのも面倒なので、出来るだけ人に遭わないようにしていました。とは言うものの、隠れてばかりも居られず、芳しからざる結果を散々喋らした後で、ニコニコしながら「残念でしたね、来年はリベンジ」などと慰謝しつつ無責任なことを言う者もあって、「この次は腰を抜かさずに跳んでみせます」と、見栄を張るのが精一杯でした。当分走りたくないと言うのが本音です。因みに高山先生は5時間08分で完走しました。splendid!
# 8月のお盆の頃夏期休暇を取り、家内に付き合って温泉にも行きました。泉質が良い、と言う事前の情報を頼みに、渋川から3時間余り掛けて、只管登り続けて辿り着いた先は万座温泉。物臭な私は部屋でゴロゴロしているのが一番良いのですが、促されるまま、一晩で露天風呂を含む3つの湯船を梯子しました。別にどうと言う感想もありませんし、温泉の効能を聞いても特別有り難いということもありません。更に、翌朝は8時に旅館を後にすると、傷だらけの愛車を駆って150㎞なんなんとする行程を走破し、桐生の先にある星野富広画伯の美術館を訪いましたが、これも家内のたっての希望ということでした。口にくわえた筆で、実に巧みな絵を描かれる高名な先生で、その多くは静物画を中心とした小品であり、残念ながら私個人は余り興味をそそられる事はありませんでした。、一時間ほどの滞在の後、再び車に乗り込むと、一路つくば市を目指しました。 一日で、300㎞近く車で移動することは滅多になく、ドライブもここまで来ると苦役です。
# 夫婦と言わず、親子と言わず、友達同士と言わず、恋人同士と言わず、世にある様々な人間関係に於いては、すべからく心の琴線に触れるデリケートで微妙な問題が内在しており、気の進まないことであっても引き受けなければならない時があります。余り興味のない事象、或いは積極的に参加したくないことなど、悪意もなく当人にとっては極自然な反応として不賛成を表明すると、予想を超えて相手を甚く傷つけてしまうことがあるのです。何気ない拒否によって、これまで安定していた関係が俄かに拗れ、期待が大きければ大きい程、失望感が恨みとなって尾を引き、そこに修復困難な蟠りの発生することすらあります。そのようなことにならない為の方策は唯ひとつ、口幅ったい言い方をすれば、それは正に自己犠牲と呼ぶべきものであり、その本質は一種の欺瞞なのです。無論そのようなことは所有る関係性に於いて成立するものではなく、自分の本心を偽ってまで遂行すべき必要条件は、当事者間に存在すべき信頼や尊敬や愛情であり、相手に対する感謝の気持ちを持ち合わせていることです。
# 十一月も末、恒例の大学時代の同窓会が茨城県古河市で開かれました。ここは、つくば市から車で凡そ1時間の距離にあり、群馬に向かう際の通過地点で、渡良瀬川沿いに開けた昔の城下町です。当日は勤労感謝の日 、はなみずきクリニックも休診の為、午後4時頃には家を出ました。まだ陽のあるうちに出掛けた積りでしたが、市内に入った頃にはすっかり日も暮れて、街灯の点る道を指定の旅館を目指してゆっくり走ってみると、その道すがら夜目にも旧家や古い商家を確認することが出来、時間が許せば、一度散策してみたいものだと思いました。私の到着以前に幹事他三人が集まり、何故か「あんころ餅」までつまみにしながら酒を酌み交し、持参の焼酎の四合壜も程無く空になりました。昨年はひとり欠席の6人でやりましたが、今年は全員揃い踏みで、宴会の後も例ならず、深夜遅くまで談論風発と言えばやや大袈裟ですが、部屋の中に皆の声が響いていました。朝は、食事を済ませると、ひとり日曜外来のある私は「それじゃあまた」と、もしかしたら再び見える事が無いかも知れないのに、あっさり言葉を交わして別れました。これも例年のことです。
# 昔から不思議だと思っていたのは、クリスマスは何時始まるでもなく始まり、忽然として消え、お正月は突然現れ雪だるまが溶けて行くように徐々に姿を見失ってゆく、両者の違いでした。11月も半ばを過ぎると商店街の角々からクリスマスソングが聞こえ、早々とクリスマスツリーの電飾には灯が燈りその頃から世の中はクリスマスに向って穏やかに時間が過ぎてゆくのです。ところが、12.26の零時を回った瞬間から、クリスマスソングに合わせたように進んでいた時間は突然停止すると、最早誰一人としてそれを口ずさむことは無い。実に、この潔さが悲しいのです。一方、正月はそれまで満を持したように音曲の類も鳴りを潜めていたのに、元旦の零時を迎えると突如として変貌を遂げ、世界はお正月一色になる。そして世相を反映してか、三が日を過ぎたらお屠蘇気分でもないというのが最近の通り相場で、松の内(1月7日まで)はお正月の内だというのは昔の話になりそうですが、いずれにしてもお正月の終わりは何となく不明瞭で気が付けば普通の日になるのです。いつもこの頃になると、こんなことを考えてしまうのは私だけでしょうか。 (2013.12.30 Mann Tomomatsu)