もんちゃんとドッグランに行ったら
9月 4th, 2010 by info
私はその人を常に先生と呼んでいた。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。(漱石 「こころ」)
そもそも、もんちゃんがはなみずきクリニックに住まうようになったのも、breederたる「先生」が高山院長と彼を養子縁組させてくれたからであり、常日頃、院長は勿論、私もその僥倖に対しては深甚の感謝に絶えないのであります。私たちはその人をこれまでもそう呼び、そしてこれからもそう呼ぼうと思います。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けません。 とは言うものの、これからご紹介するお話ではもんちゃんを主役に、先生には飽くまでも脇役を演じて頂いております。
ドッグランにもんちゃんを連れて行くという話は先生からのお誘いがあったからで、初め院長ともんど副院長のふたりでという計画でしたが、結局特段予定もない私も同行することになりました。
8月14日土曜日はお盆ということもあってか、午後3時半の最終受付時間、外来の待合には処方待ちの患者をひとり残すばかりとなっていました。折りしも,先生ともんちゃんの従妹の福ちゃんが受付に来たのを合図に、ドッグランの会場たる「ポティロンの森」に向かって出発したのであります。福ちゃんは如何にも雌の甲斐犬らしく、細身で、清楚な将来の貴婦人を思わせる佇まいがありました。先生、福ちゃん、院長、副院長は先生の車に乗り合い、私はひとりその後に続いて、はなみずき通りを牛久駅とは反対方向に向い、最初の信号を右折し国道408号線へと進んで行きました。
途中、先生の車をを見失いましたが、走ることおよそ20分、進行方向の左手一帯は鬱蒼として木々の屹立し、通用に拓かれた道の先に目的の場所はありました。当該「森」というのは、森林伐採後に造成された広大な更地に生まれたアミューズメントパークのことです。驚かされたのは、予想に反して道すがらそこに向う人の多さで、当日午後4時から施設は無料開放となると聞かされ合点が行きましたが、千台余り収容可能な大駐車場には、その時を待って既に沢山の車が停まっていました。そして、そこから施設内に向う人の群れは入り口を目指して収斂し、それは遠景にあって、ただひたすら黙々として進んで行く様は無機質な流れのようにすら見えました。
もんちゃんは最早微かに聞こえる子供らの嬌声に反応したか、脇に逸れようと一段と強くリードを引っ張り、殆ど制御不能な状態になっていました。施設の入り口辺りまでは何とか辿り着きましたが、そこから先は、散歩の途中など時々そうするように、私がもんちゃんを抱っこして進まねばなりませんでした。
ドッグランのスペースは5~600坪の広さで、南に勾配をなした緩やかな斜面に位置し、斜面の中央は僅かに浅い窪地になっています。一見走り辛いと感じましたが,その予想は間もなく的中することになります。少し遅れて私ともんちゃんが先生らに合流し、取り敢えず斜面の最も上手に設えられたテーブルと椅子を選んでそこに腰を落ち着けることにしました。やや見下ろす場所から全体を望めば、多種多様な犬たちがそこかしこに走っています。ボールを投げればやすやすとこれを受け止め、一目散に飼い主の下に戻って次の指示を待つ、こんなことを何度も繰り返しているペア。リードをつけたまま敷地の中を散歩する用心深い人。放した犬を追いかける老人。犬同士がじゃれあい、飼い主たちが笑いながら談笑する光景。私の中で徐々に安心と油断が芽生えつつあったのは事実です。
終に思い切ってもんちゃんを手綱から解き放つ時が来ました。彼も初めは恐る恐るで、他の犬に付かず離れず、遠巻きにしていたのです。無論、私はその後について必死に走ります。時々は声を掛けますが、偶に振り返るくらいで、最早私の存在に頓着することはありません。そして、ひたすら彼の気持ちは高揚して行くのでしょう。気が付けば、息の切れた私から遥か先を走っていました。それでもやっと手を伸ばせば尻尾に触れる位までの距離になった時、もんちゃんの前に居た雌の柴犬がやにわにもんちゃんに向って吠え立てると、もんちゃんも即座に戦闘態勢に入りました。牙をむいたその柴とニ三度吠えて相手を威嚇するもんちゃんは正に一触即発、慌てて私は二匹の間に割って入りました。中腰でレフリーストップをかけた積りがやや柔らかめの斜面に足を捕られ上体の安定を維持出来ず、左の腰から転倒してしまいました。幸い二頭の交戦は免れたものの、ズボンは泥と下草の樹液にまみれたのであります。その時、咄嗟にもんちゃんを探しましたが、彼は既に私を置き去りにして先生たちの居る方角に走り去っていました。
ドッグランに愛犬を連れてゆく時、暮々も用心怠りなく、常に四方に注意を払っておかなければならないことを学んだし、喧嘩を売ってくる犬がいることを忘れてはいけないと悟りました。だからしばらくはもんちゃんをドッグランに連れ出す気になれません。 (Mann Tomomatsu)